2003年4月3日

朝食6:45~、出発は7:50、今日は強行軍です。血の池地獄を見た後、阿蘇の外輪山城島高原を抜けて開通した山並み高速をバスは走る、雲の上に由布岳が見えた。野焼きが終わった黒い大地を横に草千里を走るが霧がかかり涅槃の阿蘇は姿も見えす、申し訳なさそうなガイドの説明を聞いた、私は火口に三度も登っているが初めての栄ちゃんにはちょっと気の毒でした。阿蘇はアイヌ語で燃える山と言うことは初めて知りました。草千里でお昼、予報ではざざぶりの雨と有りましたが時折ぱらつく程度でした。午後バスは熊本から宮崎県へ入り九州のへそと呼ばれる蘇陽町を通りバスの窓から石碑を見た。パリでノートルダム寺院の前にパリの0地点と書いた物が有って足と一緒に写真を撮ったが走っているバスからは一瞬の景色でした。高千穂峡に着く。道が狭いのでバスから降りて整備された300段の階段をひたすら下りて真名井の滝を見る。濃い緑の水が神秘的でした。小型のバスで元のところまで送ってもらいました。日向から宮崎はさすがにもう田植えが済んでいました。最後のトイレタイムは6時、いよいよ今夜の宿泊地鹿児島県の霧島温泉へ。天気が良ければ桜島が見えると言う神話の古里高原(たかはる)で高速を降りて町から山道へ、日が落ちて真っ暗な中遠くに鹿児島空港の明かりをみながら7時過ぎ漸くホテルに着いた。ガイドさんから鹿児島弁を教わる、「きは いっぺこっぺ さるもしたや すったい ざれもした」意味は、私はあっちこっち出掛けてとてもつかれました、です。フロントは中央館で別館やら南館やらと有り、中央館の1階は南館の4階だったり山の斜面にあるホテルはややこしい。

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