2004年6月18日

晴れ、初めて目覚ましを使う、5時に起きる。身支度をして6時15分前にフロントへ降りた。タクシーでリヨン駅までどのくらい掛かるかとフロントい聞いたら、地下鉄で行けば13分だと言われたので納得、回数券を10枚買って地下鉄1番線に乗る15分でパリ・リヨン駅に着いた。コンコースに入ったら7時発のTGVのホームもAと出ていて列車もそこにいた。長い列車で真ん中に頭と頭が向かい合っていた、多分途中で別れるのでしょう、間違いの無いように乗り込む、先頭に近い車両でした。

時間どうり7時に発車した、昨日買って置いたパンとジュースで朝食を取る。サクランボの残りはデザート、食後は歯磨きも出来た。しばらくして検札が来たが、今回初めてレールパスにも車掌のパンチが入った。列車はビジネスマンが多く満席でした。この時間はサイレンスルームと言うのが有って、この部屋は携帯もパソコンも駄目のようです。さすがはフランスと納得、ごちゃまぜの日本はやたら駄目駄目と言いながら、誰もそれを守らない、一息ついたところでみなとろとろ。9時にりよん・ベラーシュ(新市街)についた。しばらく止まっていたが、車両の切り離しが有ったようです。目的地と違うことに気が付いて降りる、間一髪セーフでした。地下鉄で観光案内所の近くまで行き、CITY パス(1日券)を買い地図を貰って歩く。ケーブルカーで丘の上のノートルダム寺院へ行く。287段のらせん階段を登るとそこは展望台、リヨンの町が一望出来た。絹で栄えた町ですが、こんなにおおきな町とは思わなかった、やはり自分の目で見る大切さと言うべきか。シテイパスは地下鉄もバスもケーブルも何でも乗れるし美術館も教会の入場料もOKです。いったんケーブルで降りて、レストラン通りを歩くがやはり12時からのようでみな準備中、ようやく入った店はインドレストランでした。とにかくお昼を食べてから、別方向のケーブルカーで、紀元前のローマ劇場(石造り)へと足を向けたが、日よけのない丘の上、まして午後、一年中暑いリヨンです。半分壊れた劇場を下から見て引き返す。2年前の南仏を思い出した、今日は格別暑くて少々へばり気味となる。地下鉄で町の真ん中へ出る、市役所と言っても元宮殿と言った建物、オペラ劇場は屋上の部分で今風のかまぼこ屋根が着いていた。市役所の前の市の美術館に入るが、殆ど宗教画でした。帰りのTGVに間に合うように駅に戻ったが、前の2本が遅れているらしく、10分遅れると出たがホームが案内板に出ない。時間は迫るのになんにも出ないって、とても不安でした。ようやくAと出たのが10分前、Aって?上を見て探していたら「なにか、お困りですか?」と若い日本の女性に声を掛けられた。「Aってどっちでしょうか」思わず聞いて在来線と判りみんなで走る。遅れた2本が未だ入ってこないので、始発は別仕立てとなったようです。とにかく走って走って、車両を確認して乗り込むが、後から走ってきた人たちが駅員に怒鳴っているのが聞こえる、私だってフランス語が堪能ならきっと怒鳴ったでしょう。さらに10分ぐらい遅れてようやく発車した。これで無事にパリに帰れると疲れも手伝ってみんな眠ったようです。8時前にパリに戻った。軽く夕食を取りホテルに戻る。万歩計は22000歩、明日はゆっくり市内見物としよう。Iさんから、電話が入り、明日モネの睡蓮の庭を見に行くと連絡は貰ったが、別行動と断る、Yさんも私と一緒が良いと言って呉れた。一人でも良いと思っていたが二人なら尚楽しいと嬉しくなった。2年前の南仏は油断も隙もない町でしたが、今回はそれなりの緊張はしていますが、それほど不愉快な思いもしていないし、勿論お巡りさんも前よりウロウロしてはいるが、安心して歩けたようです。

タイトルとURLをコピーしました