寒くて3時に目が覚めた。消した筈のテレビがついていた。well come
masageでした。最新はモーニングコールもテレビだそうです。いつもその前に起きて朝食に出てしまうので、一度も見たことはなかった。
またとろとろして6時前に起きる。外は寒そうです、鼻水が出てきた。ウールのセーターを着る。今日は20度ぐらいらしいが、空は曇り空、この季節ブダペストも雨が多いらしい。テレビのチャンネルを廻してやっと英語を見つけた、DwTV。
半日の市内観光に出る。革命の英雄広場・市民広場は広大な庭園だが現在整備中。なにしろここもロシアから独立して10年ちょっと、しかし、ベルリンの壁が崩壊する一因となったハンガリーです。壁の一部2枚がドイツ市長から送られて平和の像の丘の近くに置かれていた。ガイドさんは日本語が上手、ここで日本人に習ったと言うが必死で勉強したのでしょう。いつまでたっても英語の話せない私。ドナウ河をはさんでブダ地区に有る王宮、(今は市民センターになっている)の見学、川向こうに国会議事堂が見える。漁夫の砦から市内を一望出来る、またムービーを廻す。ペスト側の旧市街に戻りレストランで昼食、何処へ行っても牛肉は出ない、何しろこうてい病のためです。ハンガリー風チキンカレーでした。河のそばの街の真ん中でしたがその後解散、自由行動です。ヘレンド(陶器の店)で目の保養をして中央市場へ寄る。4時から始まる国立オペラハウスのガイドつきツアーに間に合うようにと地下鉄に乗る。朝、ガイドに貰った地図だと3つ目なのに、日本から持ってきた本の地図が5こめだと言い張る人が居て、とにかく乗ったが目が離せない。駅名のスペルの頭ARAの3文字に集中した。泊まるたびに目を光らせ、3つ目の駅で、ARだと読んだ瞬間にみな降りた。セーフでした。おかしいといっている人を無視してエスカレーターで地上に出る、エスカレーターがまた早いの何の、日本とは大違いのスピードなのです。地図を頼りにキヨスクで方向を聞き、だいたいの目安で歩く。道は放射状なので大通りを行くと遠回りなのでひとつ手前を曲がりオペラハウスを目指す、人通りは少なく心配だったが6人なのでとにかく歩いた。突き当たりがオペラハウスだった。やれやれ、もう見学者がいっぱいだった。とにかくチケットを買わねばと探す、セカンド ドアと言われた。私は隣と解釈したが、Sさんは2つめのドアだという。セカンドは二つ目よ、と真顔、ついて行くがだれもいない、聞いたらネクストと言った。元へ戻る。ドアからドアったってオペラハウスですから、早くチケットを買わないとと急ぐ。まもなく4時となって中へ入る。ガイドは英語・フランス語・イタリヤ語・スパニッシュに別れる、6人は英語の班に入る。先ず2組が客席に右と左に分かれて着席、シートも簡単なもので10分程の説明でおしりがぺったんこになった。床は木造で塗りもはげていた、舞台の構造とか、シャンデリヤの事とか2階のロイヤルルームは大統領専用で両サイドはボデイガード用とかの話を聞く、5階は天井桟敷、好きな人は何度もそこで見るそうです。その後ロイヤルルームを外側からガラス越しに見る。ミラノのオペラハウスの時はボックスへ入ることが出来たが此処はみるだけ。待合室・サロンには歴代の歌姫の肖像画が掛かっていた。ひとまわり45分掛けて少し優雅な気分を味あう。リストはハンガリーの田舎で生まれたが晩年はブダペストで過ごしたと言う。リストの胸像が置いてあった。6時からデイナークルーズが待っている、急いでホテルへ帰らねば。帰りはタクシーと決めていた。ガイドから3種類のタクシーが有ることを聞いていた。1つはホテルから呼んで貰う日本流で言うならハイヤー、これは少し割高なれど安心。2つめはエンブレムのついた電話番号のついたタクシーこれはメーターがついていて良心的な適正価格。最後にいわゆる白タク、これは目的地が近づくとメーターがどんどん上がるから気をつけてと言われた、約3倍だそうだ。
オペラハウスから出たところで別行動の筈のIさんが私も帰りたいと言った。Sさんは予定どうり一人街を歩くと言って離れた。オペラハウスで待っていれば良かったのに少し歩いてしまったのでタクシーがつかまらない。それも4人の積もりが5人になったので2台必要となる。実はブダペストの空港で両替をするとき3000円ずつ出して、Nさんがまとめて両替をしたまま彼女が全部持っている、Iさんが持っていると言うのでMさんがIさんと残り、丁度来たタクシーを捕まえてYさんNさんと私の3人はすばやく乗り込んだ。角まで戻れと言ったが、二人は進行方向に向かって車を探した。幸い前が工事で渋滞していたので車はのろのろ、ふと見ると二人が未だ走っている。やっと渋滞を抜けて走り出した時も未だ二人は歩道を走っていた。気の毒だがこんなおかしい場面はめったにお目に掛からないでしょう、笑ってしまった。交差点を抜けた頃とうとう姿が見えなくなった。だって疲れたから帰ると言ったのに走るんだもの。ホテルに着いてメーターは1140フォリントでした、チップ10%だから「1300で良いよ」と言ったが200しか無いと言うので1400上げた。20分ぐらい待ったでしょうか、やっと車で戻った二人はかなり私たちより手前から乗ったのに3500だと言う。つまり仕方なく白タクに乗ったのでした。結局5で割って一人900で決着。急いで着替えてバスに乗る。120$か,15000円のオプションのデイナークルーズに4人(Y・M・N・私)、IさんSさんはパブリックのナイトクルーズに出かけた。船で食事かと思っていたらバスはどんどん郊外へ出ていく。何しろ添乗員は何も知らず、ガイドがワイナリーへ行くと言った。200年続いたワイナリーで現社長は未だ若い女性でした。大きなタルを改良したデイスプレーが並び、奥の方はそのタルの中にテーブルと椅子を置いて有ったり楽しげに演出されていた。私たち団体の為のテーブルと前に舞台があって、ハンガリーダンスのショータイムを楽しみながらの夕食でした。大きなデキャンタに白ワイン飲み放題、赤はタル出しのスポイトで一人一人についでくれた。9時半に船に乗る、何しろ日の暮れが遅いから。イヤホンでいろいろな国別のチャンネルが有ってJAPANに合わせる。両サイドにライトアップされた夜景をシャンペンを飲みながらブランケットで寒さを凌いで楽しむ。11時半ホテルに戻る。SさんもIさんも楽しかったようだが、ワイナリーで夕食したと聞いて、少々おかんむりのIさんでした。スラブ・ゲルマンとは異なった人種ハンギリアン、街はどんどん変わっていくことでしょう。今日はユーゴスラビアの偉い人が来るとかで町中パトカーやらポリスがうろうろしていて、なんだかピーピーならしていた。ブダペストは星が無いのね、と横尾さんが言った、雨期だから仕方がないの。
