晴れ。いよいよ金比羅参りです。後で立ち寄る土産物屋さんのご主人のガイドでみんな金剛杖(実は竹の杖)を借りて旅館を出発、元気なところで記念写真を撮りいざ階段を。私と善ちゃんは登山用の杖を持っていったのでそれを使う。適度に踊り場も有って適度に休憩を入れながら「なやむ」と聞いた786段を上りきった時、もう二度と来ないぞと思ったりしたが、善ちゃんは大正15年生まれ、栄ちゃんは昭和2年生まれ、みんな元気でした。ガイドさんの誘導も実に心得たものでした、個人で行ったとしらギブアップしていたかも。約1時間掛けて全員上りましたが早い人は15分で上るそうです。店主は日に3度ほど上ると言っていました。森の石松が清水の次郎長の代参で奉納した刀は今も宝物殿に有るが、とにかく上へ上へとひたすら上った、カメラの余裕はない。無事に本殿にお参りして裏道から降りた。休憩の後バスに乗り香川を後に瀬戸大橋を渡り、鷲羽山(六甲バター時代に上ったことがある)を見ながら岡山に入る。倉敷の町を散策、これまた仕事で来た時の町はすっかり観光地としての町となっていた。ままかり寿司を食べたが、片身しか入っていないので大笑いでした。大原美術館には入らず(時間がないから)ひたすら裏通りを歩いた、昔のママでした。午後バスは尾道へ、崖下の千光寺にお参りして、このあたりの文学散策道などを横目にバスはいよいよしまなみ海道を走る。午前中黄砂が吹いていたが午後は地域的に避けたようです。
新尾道大橋を渡り、向島を抜けて因島大橋を通り因島を抜けて生口橋から生口島の中は一般道を走り耕三寺見学を数人拒否して手前に有った平山郁夫美術館に入る。平屋の美術館は落ち着いた風情で彼の小学生時代の卓越した絵を見て一同感心する。「俺なんかとても書けねーよ」と栄ちゃん、「書けてたら今頃絵描きだよ」と善ちゃん、大笑いです。多々羅大橋を渡りいよいよ大三島、私が一番来たかった場所です。大山祇神社にお参りをして結構この島が大きいのに驚く、次はこの島に泊まりたいと思った。大三島橋、伯方島、大島と最後の来島海峡大橋を渡って今治に入った。父が材木の仕入れによく来た今治、懐かしい響きでした。当時は尾道から宇高連絡船で高松から汽車に乗ったのでしょうか、家族で道後温泉に来た記憶もあり、帰りの船に酔った記憶も有るのです。バスは松山の道後温泉へと急ぎました。朝四国を出て岡山・広島を経て夕方また四国へ戻る、便利になったのはやはり橋が架かったからでしょう。山を越えて7時に道後温泉に到着、ホテルは道後温泉のすぐ近くでした。夕食の後駅前の10時(最終)のからくり時計を見て温泉にはいる、ひとり300円コースでした。ホテルに帰ってもさすがにみんな疲れが出て、せっかく買った酒(坊ちゃん)ものまず栄ちゃんがまずダウンでした。
