2002年2月1日

晴れ、様子が判らないまま早昼を済ませてとりあえず私だけが12時過ぎに家をでた。生憎2日は友引なので告別式は3日と決まる。新幹線は自由席で京都まで乗り、京都から在来線で草津までもどり、そこから柘植行き(草津線)に乗って4つ目の三雲で降りた。

タクシーに乗ったがアパートがなかなか見つからなかった、午前中に姉を乗せたドライバーさんが、無線のやりとりに仲間入りして、あっけなく解決した。仕事を終えた姪の幸子と3人で今夜も仮通夜、昨夜の人たちはひとまず帰宅したとのこと。昨年まで勤めていた所の所長さんがお悔やみに来てくれた。知らなかった、もう一度会いたかったと泣いてくれたとき、弟の日々の生活が理解できて嬉しかった。幸子さんと夜になってから灯油を買いに走ったり、明け方二人がついにダウンするまで話し込んだ、私はとうとう一睡もしなかった。2つ年下の弟はいつも私の後をついてきた、ままごとも盆踊りも、中学も高校も同じだった。思い出が走馬燈のように次から次と出てきた。結婚してからは遠くなったので冠婚葬祭の時ぐらいしか会えなかったが、入院していたので娘の結婚式には会えなかった。2週間前にとんぼ返りで見舞いに来ておいて本当に良かった。栄ちゃんと娘に連絡も入れた、栄ちゃんは明日の本通夜に間に合うように出てくるという、私が乗ったのと同じひかりでした。病院であんなに痛がっていたのに(>_<)弟は安らかな静かな顔でまるで眠っているようでした。

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